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フィスチュラ問題についての年表
この年表は、UNFPA年表を参照しています。UNFPA年表は、こちらから
1849
ジェームズ・マリオン・シムズ医師により、アメリカでフィスチュラ手術が成功。
1857
最初のフィスチュラホスピタルが、ニューヨーク市に建設。シムズ医師が建設したこの病院跡地には、現在、ウオルドーフ・アストリア・ホテルが建っている。
1895
シムズ医師のフィスチュラホスピタルは、アメリカで産科が普及したことにより、閉院。
1974
レジナルドとキャサリン・ハムリン両医師夫妻が、アジスアベバに、フィスチュラ・ホスピタルを開設し、フィスチュラ治療専念体制を本格化した。
1989
WHO(世界保健機構)は、世界中でフィスチュラに悩む女性の数は200万人に上るものと推測されるとの報告書をまとめた。
2001
リプロダクティブヘルスの専門家たちが、ロンドンで、世界初めて、フィスチュラ撲滅のための国際会議を開催する。
2002
第二フィスチュラ国際会議の場で、アフリカにおけるフィスチュラ撲滅のために行うべき指針が60人以上の専門家たちの合意により、打ち立てられる。
UNFPA(国連人口基金)のGoedele Liekens親善大使は、エチオピアを訪問し、フィスチュラについてのテレビ番組をプロデュース。ベルギー、オランダで、100万人以上の視聴者を得る。
UNFPAの援助で、12カ国におけるフィスチュラ問題状況調査が開始される。
2003
UNFPAがフィスチュラ撲滅国際キャンペーンを開始。サハラ以南アフリカの9カ国における産科フィスチュラの実態についての初めての共同報告がUNFPAとエンジェンダーヘルス(EngenderHealth)というNGO団体により発表される。キャンペーンは、南アジアやアラブ諸国も対象とすることになる。20カ国以上の国々が、この支援の対象となることになった。
タンザニアの女性尊厳プロジェクトが、フィスチュラ罹患女性や少女たちの経験をドキュメントする最初の出版物、『フェイセズ・オブ・ディグニティ』(尊厳に満ち溢れた顔"Faces
of Dignity")を発表。
バングラデッシュ、インド、ネパール、パキスタンが、南アジアにおけるフィスチュラ問題について、初めて会議を行う。バングラディッシュは、UNFPAの援助を得て、国立フィスチュラセンター設立計画を決定。センターは、フィスチュラ患者を受け入れるのみならず、南アジア近隣国にとって、教育の場を提供することも目的としている。
2004
『オプラ・ウインフリー・ショー』にキャサリン・ハムリン医師が登場、世界中100万単位の人々に向けて産科フィスチュラについて、トークを展開。
キャロリン・マローニ議員などのアメリカ下院議員たちが、産科フィスチュラ予防や治療のためのUNFPAへのアメリカの資金提供打ち切りに対して、資金提供を再開するための法案を提出。
ヨーロッパの議員たちとUNFPAの長官が、アジスアベバフィスチュラ病院を訪問。
ウガンダのファーストレディー、Janet Museveniが、ウガンダで、フィスチュラ撲滅のキャンペーン開始。
UNFPA/スーダンが、『気にかけなければいけないんだ("We MUST Care")』というテーマの全国的なフィスチュラ撲滅キャンペーンを展開することに。
アジスアベバ・フィスチュラ病院は、30周年、2万5000人以上の患者受け入れ達成を記念。
世界キャンペーンの対象国が、サハラ以南アフリカでの進捗状況を報告しあう会議を開く。
アジスアベバ・フィスチュラ病院は、国連人口賞を受賞。
日本政府は、「人間の安全保障基金による子宮ろう対策に対する支援について」というプレスリリースで、UNFPAの要請に対し、ナイジェリア、パキスタン、マリの参加国におけるフィスチュラ問題対策費用として、総額364万6,500ドルの支援を行うことを決定。
2005年
フィスチュラ・ジャパン活動発足。
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